母の最期
母は、約7年前、老衰のため、92歳で亡くなった。最後まで、自宅で家族と(私、母、ママ犬でシェパードのちーと子供たちアン、ジョー、キー、ミー)で生活した。本当の最後は、インフルエンザにかかり、入院、治って退院予定を聞いた後の死亡であった。前日、会いに行ったとき、もうすぐ退院、家に帰れるよ。私は、誰?と確認した。娘の知代子。と答え、まだ私がわかるとほっとして、仕事に戻った。次の朝、犬の散歩を終え母の死の報告の電話を受けた。まだ、温かく、寝ているようだった。幸せそうに微笑んでいる。温厚で、頭のいい人と思っていた。80歳中から、だんだん変わってきた。経理関係の仕事をしてもらっていたが、税理士さんから、もうお母さん無理ですと。家事は母の仕事であったが、だんだんできなくなってきた。始めは、それが、私にはわからなく、どうしてしないのかと怒ってばかりいた。母の顔がきつくなり、盗まれたを連発するようになった。口から出る言葉は毒ばかり、この時期は、主治医の先生やケアマネージャーの勧め通り介護施設に入ってもらおうと思った。母も、分かった。入る。といったが、本当は入りたくないと言って泣いていたことを知り、ずっと家にいることになった。毒々しい期間は、つらかったが、また優しい顔に戻り、だんだん、歩くことができなくなり、子供から赤ちゃんに逆に移行していく姿をみていた。ここには、デイサービス、ヘルパーさん、ケアマネージャーさん、お隣の奥さんの力添えがあって、自宅で、犬たちや私と笑いながらの生活ができた。母の失敗を笑いに変えることができるようになった。休みの日は講習会などで家を空けることも多かった。亡くなった後から、もっとあーしてあげるとよかった。とたくさんの思いが募る。でも、最後まで家で暮らせて幸せだったと信じていたい。私の最後は見てくれる人はいない。準備ができて最期を迎えたいと考えなければいけない年になった